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八条中学校校歌・総括
■ 八条中学校校歌・まとめ ■

hatijous.jpg永きに渡って特集してきた八条中学校校歌シリーズもこれで終わりである。思えば縁もゆかりも無い八条中学校という学校の校歌を取り上げてだんだん愛着が湧いてきたのも事実だ。コレを機に八条中学校を訪れるのもいいかもしれない。

(゚∀゚)なんてな。

そんなことはどーでもいいんですが今回は今までの歌詞を総括してこの中学校が一体何を言いたいのかを検証します。中学校の校歌として一見おかしな内容であるこの校歌に一体何が隠されているというのだろう?




■ 分析

校歌をまとめるにあたって過去の考察を挙げてみよう。

一番
「鯉ヘルペスも起きるようなアンモニア態窒素が4.55ppmもある桂川はなんてきれいなのだろうか(反語)。遊郭跡地でもあるこの地方自治体の収める京都市南区唐橋門脇町八条の地に守護国家論でも言われている日蓮宗絶対主義と浄土宗の徹底弾圧を目標に集まりました。」

二番
「三角の屋根に時速1080000000㎞の自然光が生み出す光という電磁波を浴びている中、建物の中ではお互いに信頼し、親愛しあっている者同士で取引が行われていた。窓の外からは自治を訴える声が聞こえてくるがその取引により、新しく生を受けた命が校庭で寿命を迎えていくのであった。」

三番
「世界の文化を隠れ蓑に自分達の生活のための価値の高い知恵を鍛えてはいるがどうしても偽者臭い雰囲気は拭い取れずいずれ先頭に立って指揮をとるような雰囲気は我々からは永遠に感じ取ることができない。」

まるで言いたいことが伝わってこない歌詞だ。一見しただけでは全部ばらばらの時代にバラバラの作詞家が悲哀を込めて作ったとしか思えない。しかし学校の校歌でありことからそこから巣立つ子供に対する何らかのメッセージが含まれているはずなのである。

趣旨がめちゃくちゃとはいえ各項番が担うべき役割は実に明快である。一番ではこの学校を取り巻く環境や目的といったもの。二番ではその環境下で営まれている生活にスポットを当てている。三番はその上で自分達の将来を冷徹に推測しているのだ。

では環境から見ていこう。

一番で謳われている環境は非常に劣悪なものである。遊郭跡地でありアンモニア態窒素が4.55ppmもある環境汚染の象徴とも言える淀んだ川。自治色の強い八条ならではの自治権の主張。おおよそ子供の正常な教育を行うにはふさわしくない環境である。しかし先ほども述べたようにそのままの意味でこの歌詞を捕らえてはいけない。他に探せばいいところなんてあるだろうにわざわざ周囲の過酷な条件のみを列挙しているのだ。これはどういうことか。列挙した中にこそ伝えたい心理が隠されているのだ。あくまで推測の域を出ないが要約してみよう。

要するに八条では環境汚染の続く桂川の被害を逆に利用して生体兵器の研究に着手していたのである。しかし他の地域に悟られてはまずいので不可侵である遊郭に目をつけた。遊郭を学校に改造し公共施設の隠れ蓑の下で研究開発した生体兵器の教育、育成に乗り出したのである。目的は勿論日蓮宗絶対主義と浄土宗の徹底弾圧である。

なんと言うことだ、つじつまが合ってしまう。八条中学校の作詞家はこの恐るべき計画を上層部にばれることなく外部に伝えようとしていたのではないか。

そうすると二番の意味不明だった部分の歌詞に意味が見出される。校庭で生み出される生命の数々。その多くは校庭で寿命を迎え朽ち果てていくのだがこれはまさに実験兵器達の運命だったのではないか。そして三番では研究が結局のところ上手くいかずその将来性について苦肉の報告書を書かざるをえない科学者の悲哀を表現しているのだ。いや、本当の被害者は科学者ではない。被験者だ。

二番の歌詞で窓の外から聞こえてくる自治の声は言わずともがな、開放を求める被験者達であろう。その姿は恐らく醜悪なものに変貌させられているにも関わらず彼らは自治、自由を求めているのだ。しかし研究者達はお互いに疑心暗鬼ながらの危うい友情で自我を保ち研究者は研究者同士でお互いの身の安全を誓い合ったのであろう。

しかし研究成果は実を結ばず、世を先導するような強力なクリーチャーは作り出すことができなかった。世界の為という大義名分の隠れ蓑の下で非人道的な研究を続けてきた研究員の落胆を感じ取れるのが三番だ。いや、落胆しているのは「われら」と謳っていることから被験者かもしれない。

以上のことを踏まえ、ある程度意訳を加えつつまとめてみた。



■ 歌詞の意味
我々八条自治体は今、危機に瀕している。長年の環境破壊によって桂川のアンモニア態窒素が4.55ppmを計測し深刻な問題となっている。しかし我々にはもう一つ急務があるのだ。日蓮宗絶対主義と浄土宗の徹底弾圧である。そして我々は二つの問題を一挙に解決する案を思いついた。

生体兵器である。環境破壊から生まれる奇形児の中には兵器として人間以上の効果を期待できる者もいる。コレを使わない手は無い。学校と言う名前の施設で汚染された環境を利用して生物兵器を研究し日蓮宗絶対主義と浄土宗の徹底弾圧に向けるのだ。勿論桂川の環境改善は必須だが既に汚染された環境のフォローはコレでまかなえる。しかし場所が問題で人目につくのはまずい。なので暗黙の了解とされ政府も見てみぬ振りをする必要悪の遊郭街に学校を置くことにする。

計画の立案、施行から年月が流れ研究も既に長期間継続されている。新しい生物の製作もついに始まった。しかし自我を持った兵器というのは厄介で自分が兵器であることをよしと思わない。兵器の癖に!! しかし兵器ゆえにその卓越した暴力に研究員が晒されている。現在兵器はある程度育成が進んだら校庭で飼育されている。しかし窓の外から開放をうったえてくるのだ。一日中時間を選ばず聞こえる地獄からの亡者の声。そしておぞましい研究。研究者達はお互いに危うい友情で手を取り合って自我を保つために必死のようだ。徐々にこの計画も行き詰まりを見せているが第一陣が完成すればその雰囲気も払拭されるに違いない。

しかし研究員から寄せられた報告書は絶望しか見出さなかった。成長途中で破棄される兵器が多い中、ようやくモノになった兵器達も戦いを有利に運べる可能性を見出せるものではなかった。学校という世界の文化を隠れ蓑に多額の財を投入した施設の意味が失われつつある。しょせん作られた生物はかりそめの命でしかない。生物の世界に混じ入るには不完全だったのだ。もうダメだ、終わりに・・・かゆ・・・うま。



なんと言うことだろう。恐ろしい事実が隠されていた。現在は研究の頓挫から通常の学校として機能しているようだがその設立当初は生物兵器の研究、開発を行っている施設だったのだ。そして外部に情報を漏らせない内部の人間がばれないように歌にしてメッセージを託したのだ。

普段、入学式と卒業式にしか歌わず意味など考えない校歌だが改めて見直してみれば大変な事実が隠されているかもしれない。皆さんも家に帰って懐かしいアルバムを開いて校歌をよく見てみることをオススメする。

あなたも自我を持った兵器かもしれない・・・。



※:くどいようだけどすべてフィクションです。ジョークにいちいち突っ込まずにいられない人は読まないで下さい。八条中学校に恨みとか無いですから。八条中学校マンセーですから。
【2005/05/18 02:50】 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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